試し読み版:
朝倉 慎一
抄録
一、はじめに
二、三輪山の歌
三、歌への疑問
四、先行研究の概観
五、仮説の提案
六、長歌と反歌の解釈
七、和歌の解釈
●和歌の読み下し文と意訳
八、考察
(一)和ふる歌に似ず』の左注の問題の解決
(二)『伝説の文脈』
九、まとめ
十、終わりに
参考文献
奥付
額田王と井戸王の三輪山の歌(巻一・十七~十九)について、
仮説を立てて、別解釈を提案する。
和歌の末尾の「勢」は「姿」とすることにより、
陽に「山の姿」、陰に「君の姿」と解釈できる。
更に「三輪山」を陰に「三輪根麻呂」とする仮説を立てて、
陰の偲ぶ文脈を導入すると、長歌・反歌・和歌の三首が、
「三輪山(三輪根麻呂)」を忘れ去らない歌として整合する。
和歌は、いずれの意味でも唱和しており、
『和ふる歌に似ず』の左注が否定される。
三首は陰に「亡き三輪根麻呂を偲ぶ歌」として理解でき、
左注問題に明確な解決案を提示する。
額田王と井戸王(ゐのへのおほきみ)の三輪(みわ)山(やま)の歌(巻一・十七~十九)について、
本稿は、歌への疑問を述べ、仮説を立てて、別解釈を提案する。
「陽(よう)」は字義や表(おもて)の意味とし、「陰(いん)」は比喩や裏(うら)の意味とする。
最も重要な提案は、和歌の原文の末尾であり、
「『勢(せ)』[古]は『姿(すがた)』。陽に『山の姿』、陰に『背(せ)』で『君(きみ)の姿』」。
更に、次の仮説を立てて、陰の『偲(しの)ぶ文脈』を導入する。
「『三輪山』は、陰に『三輪(みわの)根麻呂(ねまろ)』で、井戸王の『背(せ)』」。
陽(陰)の意訳は、
長歌「三輪山(消息不明の三輪(みわの)根麻呂(ねまろ))を、無情にも、
雲は隠し続ける(私たちは忘れ去る)だろうか?」
反歌「いや、きっと、隠し続け(忘れ去ら)ないだろう」
和歌「目に焼き付いている、我が山(君)の姿よ」
となる。「忘れ去る対象」は、「三輪山(三輪根麻呂)」の二つ。
和歌(唱和する歌)は、「三つの意味」の各々で、明確に
「唱和している」。つまり、『和(こた)ふる歌に似ず』(唱和する歌
として似つかわしくない)の左注が否定され、明確に解決される。
[中西] 中西進『万葉集 全訳注原文付』講談社 一九七八年
[記] 中村啓(ひろ)信(とし)『古事記』角川学芸出版 二〇〇九年
崇神天皇 美和の大物主神
[紀] 井上光貞『日本書紀』 中央公論社 一九八七年
巻第二十七 天智天皇 斉明七年九月条(狭井(さゐの)連(むらじ)檳榔(あぢまさ))
天智二年三月条(三輪(みわの)君(きみ)根麻呂(ねまろ))
天智二年八月条(白村江の戦い)
[身崎] 身崎壽(ひさし)「三輪山の歌 |長歌と反歌と和歌と|」
稲岡耕二先生還暦記念『日本上代文学論集』
塙(はなわ)書房 一九九〇年 所収
[古] 『全訳古語辞典 第三版』 旺文社
(あさくら しんいち・天香具山をこよなく愛する者)
論文名:額田王と井戸王の三輪山の歌の別解釈の提案
著者 :朝倉 慎一
:2026年 5月 1日(試し読み版)
底本から抜粋、誤記訂正と若干の加筆修正。
内容は、実質的に、底本と ほぼ同等。
書名 :万葉集難訓歌を明快に解く!
著者 :朝倉慎一
発行所:銀河書籍、発売元:星雲社
発行日:2025年10月21日 初版第1刷
© Shin'ichi ASAKURA 2025 Printed in Japan
ISBN:978-4-434-36742-7 , C0192
NCID:BD13589490(CiNii Books)